朝の風【後編】

なぜああいうことになったのだろう。京子は奥手だった。桜井も奥手だった。なるようになったとしか説明がつかなかった。何度も別れようとした。でも別れられなかった。
桜井英人は二人の関係をとくに隠そうともせずに、まったく普通にしていた。そんな能天気なところに育ちの良さが出ていた。

「ああ、結婚しているよ。なんて言うか、年齢的にそろそろ結婚して、親を安心させてあげようと思ったんだ。僕は毎日、仕事で忙しくてほとんど家にいなかった。そんな生活でも良いと言ってくれてね。お見合い結婚に入るのかな」

(これ以上、聞いたところで何が変わるわけでもないし、もういい)
黙って、頷いた。

桜井は一度、家庭についてこう説明した。京子は桜井の家庭について何も聞かなかったし、桜井も必要以上に話すこともなかった。

桜井の妻という女性が訪ねてきた後、桜井はいつもと変わらず、おっ!と言って笑顔で京子に会いに来た。

「来たんだってね。悪かった。気にしなくていいよ。時々ヒステリーを起こすんだよ。でももともと冷静な人だから、君は気にしなくていいよ。僕が話をつけるから」

心のなかに穴が空いていくようだった。彼は状況をわかっているのだろうか?そんな具合で、同じ調子で、時間が過ぎていった。

「そうね・・・」

と言葉を返して、微笑んだ。

(あなたは私の気持ちを知らないのね?いつまでもこんな風に、あなたに調子よく合わせているなんて思ったら、大間違いよ。あなたのことは好きよ。でも別れなければいけないのよ、私たち・・・)

「あ、ニュースがあるの。私ね、今度の金曜日にお見合いをすることにしたの」

「僕はそんなこと認めないよ」

「あなたの許可なしにお見合いするわよ」

「うまくいきっこないよ。君は僕の恋人なんだ。恋人がいるのにお見合いをするってどういうことだよ?どうかしているよ」

「英人さん、どれほど支離滅裂なことを言っているのかわかっているの?私は一夫多妻になるつもりはないわ。最後は男らしく、カッコよく見送ってね。」

「そんなこと、できるわけないだろう?」

「めめしくても、カッコ悪くてもいいから、見送ってね」

「今日はとりあえず帰るよ」

京子の胸は張り裂けそうだった。英人が帰って後、枕で顔を押えて、声を上げて泣いた。翌日の早朝、鳥のさえずりで目が覚めた。カーテンを開けると、朝日がさんさんと降り注いでいた。

(誰の上にも太陽は昇るって本当ね)京子は前を向いて生きていこうと思った。

金曜日、庭園のあるレストランでお見合いをした。須藤は気さくな紳士だった。レストランでお茶をした後、二人で庭園を歩いた。須藤との会話は心地よく、京子の心に響いた。

「京子さん、僕のこと覚えていますか?4年前、展覧会に絵を出品されたでしょう?あの頃からあなたにお会いしたいと思っていたんですよ。名前と写真を見た時は本当にびっくりしました。こんなことってあるんだなと」

「そうだったのですね。うれしくてなんて言ったらいいのか、言葉が浮かびません。けれど・・・ありがとうございます。覚えていてくださって、感激です」

「これも運命なんでしょうか。初めてお話するのにこういうことを言うのもなんですが、あなたとの間に絆を感じているっていうか、初めて会った気がしないんです」

「初めてではありませんわ。展覧会で私の絵に何かを感じてくださった。その時、私たち出会ったのですね、きっと・・・」

「来週の土曜日、もしよかったらピアノのコンサートに行きませんか?ちょうどチケットが2枚、手に入ったものですから」

「はい。私、ピアノが大好きなんです。うれしいです」

「17:00開演で、16:30開場なので、一緒にお昼をして、それからコンサートに行くっていうのはどうですか?」

「素敵ですね。よろしくお願いします」

「じゃあ11時に迎えに来ます」

穏やかに話を切り出し、リードする須藤の頭の良さと、男らしさに、京子の胸は高鳴った。須藤は最初から、京子を誘うつもりでチケットを購入し、用意してくれたのだろう。そんな須藤の大人の優しさに、桜井からは感じられない大らかな思いやりを感じた。須藤になら、安心してついていけると思った。

翌朝、京子は桜井にメールを書いて、送信した。
英人さん

これまでありがとうございました。
最後は、穏やかに終わらせてください。
あなたと過ごしたこの3年間は、
私の人生のなかでも美しい色彩を放った時間でした。
あなたはとても素敵な方です。
どうぞお身体にお気をつけてくださいね。

もう会うことはありません。

さようなら

京子

窓のすき間からやわらかな朝の風が入り込み、京子の頬をやさしく撫でていった。