一目ぼれ

今日は、朝からツイてない。
目覚ましが鳴らなかったので、寝坊した。
だから、当然のように、朝食も抜き。
おまけに、自転車で駅へ向かう途中、タイヤがパンク。
結局、いつもの電車に乗り遅れ、少々遅れ気味で学校の最寄り駅に着く頃には、雨まで降り出した。
ツイてない日は、とことんツイてないらしく、校門の前には鬼のような形相の、熱血体育教師で生活指導兼務の勝山が立っている。
「こら、真辺! きさま、遅いぞ。
ダラダラ歩いとらんで、さっさと走って来んかーっ!!」僕の姿を確認するなり、愛用の『お仕置き棒』を振り回しながら怒鳴っている。
「おい、真辺、聞いとるんか~!!」無茶、言うなよ。
信号、赤だって・・・★横断歩道の対岸にいる僕に向かって、勝山は怒鳴り続けた。
「先生、おはようございます。
朝っぱらから、お役目ご苦労様です。
大変ですね」爽やかな微笑みつきで、そう言ったのだが、やっぱり勝山には通じなかった。
「この時間の、どこが早いんだ? 明日から、俺と一緒にここに立つか」「いいえ、結構です」タイミングよく、予鈴が鳴り始めた。
「あっ、予鈴だ。
では、先生。
急ぎますので、僕はこれで」助かった、と胸を撫で下ろしていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「ヤバ~イ! 完全に、遅刻だ…先生、ゴメン!!」振り返ると、勝山が閉めかけている門を、軽々と飛び越える女の子の姿があった。
そいつは、優雅に着地を決めると、顔を上げた。
「柚木、また、きさまかっ!! 今度遅刻したら、罰当番だって言った筈だ!」「あら、勝山先生。
お言葉ですが、予鈴が鳴っているようですよ。
ということは、当然、セーフですよね」ニッコリと可愛く微笑みながら、柚木藍はそう指摘した。
柚木は、華奢な体型にカワイイ顔立ち。
頭が良くて、何をさせても完璧にこなす、まさに非の打ちどころのない女の子。
僕と同じ1年C組だけど、残念ながら、席が近いわけでも親しい間柄というわけでもない。
「全く!! ああ言えば、こう言う。
だから、頭の良いガキは嫌いだ!」「ありがとう、センセ。
愛してる」そう言って投げkissを送ると、僕の側へ駆けて来た。
これには、内心驚いた。
「真辺くん、おはよう。
キミが遅刻なんて、珍しいね」「…おはよう。
寝坊の上に、自転車がパンクしたんだ」「あら、ご愁傷様」僕達は上履きに履き替えると、廊下を早足で歩いていた。
「柚木、遅刻の常習犯なのか?」「まぁ、ね」「それにしても、運動神経良いんだな。
見てたよ、校門を軽々と飛び越えるところ」「あんなの、大したことないよ……昔、練習したからね」そう呟くと、彼女は瞳を伏せた。
「練習? 体操か何か、やってるのか?」「まぁ、そんなところかな」彼女は曖昧に返事をすると、それ以上何も言わなかった。
多分これが、入学以来、密かに憧れていた柚木藍と、初めて交わした会話だった。
他愛もない会話だったけど、その日以来、僕と柚木は仲良くなっていた。
と言うより、彼女の方から声を掛けてくれるようになったのだ。
「真辺くん、一緒に帰ろう」ニッコリと微笑みながら、今日も柚木は言う。
「あっ、うん・・・」いつものことだけど、柚木と並んで歩いていると、周囲の視線が彼女に集まるのが分かる。
その視線は、やがて隣にいる僕へと向けられるのだ。
知らないヤツが見れば、付き合ってるように見えるのかもしれない。
柚木は、何とも思わないのだろうか?僕は、意を決して、思っていることを口にしてみた。
「なぁ、柚木。
どうして、僕なんかと一緒に帰るんだ?」「一緒に帰りたいから」あっさりと返ってきた答えは、これだった。
そんな柚木を見つめていると、僕の心を見透かしたような表情で訊ねて来た。
「答えになってない?」「いや、別に」「もちろん、真鍋くんのことが好きだからだよ」僕は、一瞬耳を疑った。
そ、それは、もしかして、告白ってヤツか!?告白された経験は元より、告白した経験さえない僕は、しばし呆然と立ち尽くした。
『僕もだよ』とか、言った方がいいのかな?思考能力がすっかり吹っ飛んでしまった頭で、必死に考えていると、何事もなかったように、柚木が訊ねて来た。
「クスクスッ・・・真鍋くん、どうしたの? 私、何か変なこと言った?」と。
そして、気付いた。
柚木は僕のことを、“異性として見ていない”、ということに。
それは、薄々気付いていたコトだけど、かなりのショックを伴い、心に突き刺さって来た。
だが、そんな僕の気持など全く気付いていないらしく、柚月はどんどん先へと歩いて行く。
その後を追って、僕も駅の近くにある公園内へと入って行った。
「私ね、6歳の時に誘拐されたことがあるの」「はぃ?」「実家は、結構お金持ちでね。
身代金をふんだくった挙句、口封じで殺されるところを、仲間の一人に助けられたの」一体、何の話をしてるんだ・・・?「ところが、私を助けたのはいいけど、家に帰す訳にはいかないって。
十歳になるまでの四年間、ずっとその人、秀治と二人で暮らしていたの。
見た目は、モデルか俳優張りの容姿だったけど、普段は詐欺師で、窃盗団とも繋がってたわ」それって、ドラマか何かの話か!?僕は口には出さず、柚木の言葉を待った。
「秀治と暮らした四年間、私は学校へ通うより、その片棒を担がされてたの。
五年前、彼が殺されるまでね」そう言って、少し寂しそうに笑った。
もし、その話が本当なら・・・あの運動神経は、その時培われたモノだったのか?「学校に行けなかった分、秀治がありとあらゆる知識を教えてくれた。
今でも、そのことに関しては感謝してるわ」俯き加減に話していた柚月の頬に、涙が伝わった。
「柚月・・・?」「秀治が撃たれた直後、彼を狙っていた組織の車に、私も撥ねられて・・・何日も生死を彷徨った挙句、それまでの記憶を無くして。
つい最近まで、全く思い出せなかった」僕は、思わず柚木を抱き締めていた。
「もう、いい。
よせよ、そんな話」「この話をしたのは、真鍋くんが始めてよ。
不思議ね、あなたと居ると凄く安心できるの」そう言って顔を上げると、間を置いて、こう続けた。
「私のコト、嫌い?」少し瞳を潤ませ、どこか不安気な表情で。
こんな表情を見せられて、嫌う男が居るだろうか?「僕も、好きだよ。
入学した時から、ずっと」素直な気持ちでそう答えると、彼女の不安を取り去るように、抱きしめている腕に力を込めた。
「ドラマや小説だと、無くした記憶が戻ると、それまでの記憶が消えてしまうって言うけど。
真鍋くんを好きだっていう記憶が、消えなくて良かった」ほんのり頬を染めながらそう呟くと、僕の腕からすり抜けた。
そして、空いていたブランコに座ると、柚木は思いっきりこぎ出した。
僕も隣のブランコに座り、同じようにこいでみる。
彼女のブランコは、あっという間に高さを増し、見ているこっちがハラハラするほどだった。
「柚木、危ないよ!」そう注意した途端、彼女は掴んでいた鎖から手を放した。
「ゆ、柚木っー!?」勢いのついたブランコから投げ出された柚木は、空高く浮かび上がり、すぐに放物線を描くように落下し始めた。
次の瞬間、彼女は身体を丸めると宙返りし、目の前の黄色いポールの上に見事な着地を決めた。
僕は慌ててブランコから飛び降りると、彼女の側へと駆け寄った。
「私の告白は、これでお終い。
これからは、普通の女の子として生きて行くわ」「そうだね・・・何があっても、僕が柚木を守るよ」柚月は、嬉しそうに微笑んだ。
それ以来、藍は並外れた運動神経を封印し、普通の女の子として、生活している。
7年後――大学を卒業するのを待って、僕達は結婚した。
平凡だけど、いつも笑