相手の居ぬ間に・・・【後編】

そこからのことは、またもや覚えていない。ただ朝起きると、案の定ホテルにおり、隣には素顔の占い師が眠っていた。切れ長の目がりりしい男顔の美人だった。それから何度か、私は占い師と浮気の関係を楽しんだ。向こうも浮気をしているのだから、と思うと、妻への罪悪感もなく、むしろ妻の嫌がらせへの復讐ができているようで、快感を感じていた。
ある日、占い師の女が私に提案した。
「今日は奥様が夜遅い日でしょう?」
そのころになると、妻の浮気のパターンがわかるようになっていた。パターンを作るなんてバカなことをして、私に見破って欲しいのだろうか。
「そうだけど、それが?」
「じゃあ私、あなたの家に行きたいな」
本来これは断る提案だ。だが、妻の大胆な行動に対してやり返したいという思いがあり、私もまた大胆になっていた。私は彼女を連れて自宅に戻った。
家で肌を重ねていると、車の排気音が聞こえた。私は焦った。こんな早くに妻が戻るなんて。私は、慌てふためきつつ、彼女に
「二階に隠れてくれ! 妻は絶対に上までは来ない、無精者だからな。そのうち隙を見て逃げるんだ」
と言った。彼女は全裸のまま急いで二階へ逃げていった。乱暴に脱ぎ捨てた服をかき集めて彼女に渡す時間はなかったので、とっさに庭の軒下に入れた。
入れ替わりに妻が入ってきた。浮気しに行く時の服装だった。妻は少しも驚いていない様子で言った。
「あら、早かったのね」
私も刺々しく言葉を返す。
「おまえこそ、ずいぶんお洒落してるんだな」
それには答えず、妻は私に言い放った。
「あなた最近、残業だなんて嘘ついて、遊び回ってるんじゃないの」
あまりの言いぐさに私は唖然とした。まさか妻に喝破されているとは思わなかったが、それ以上に、自分のことを棚に上げてずけずけ指摘してくる根性に腹が立った。
「何だと! それはおまえの事だ! おまえ浮気してるんじゃないか!」
「やっぱり私の後をつけていたのね。浮気じゃないわよ、あれは。探偵と会って調査報告を聞いてたの。あなたの浮気を探るために」
「なんだと?」
妻は無言で写真を差し出してきた。占い師の女と楽しそうに歩く私が写っていた。
「まて、おまえが初めての浮気をしたとき、俺はまだ―――」
言いかけて、口を噤んだ。認めたようなものだった、自分の浮気を。
「調査が空振り続きだったから、そろそろやめようと思ってた所だったの。ところが、最後の調査で浮気の証拠をおさえることができた」
ふいに、窓を叩く音がした。ジュンヤが、女物の下着をくわえて、窓に頭を叩きつけていた。
「あれも証拠ね。まさか家の中に招くなんて不用心だわ」
私はもう言い逃れできず、その場にへたりこんだ。
「これであなたと離婚できるわ。さんざん嫌がらせしたのに出ていってくれないんだもん。早く出ていけば、慰謝料まで取られる事は無かったのにね」
妻は厭らしく笑った。

それからの顛末だが、私と妻は離婚した。慰謝料をたっぷりと取られた。妻の浮気は私の思いこみだったというのだ。占い師の女はいつのまにか逃げていて、連絡も取れず、私は責任を一人で背負い込む事になった。世の中は理不尽だ。ただ、やはり浮気などするものではない。
ある日不思議な夢を見た。
辻占いをしている女のもとに、妻だった女がやってくる。元妻は男連れだ。あの日、車を運転して元妻を迎えにきたあの探偵だ。
「あなたが芝居してくれたお陰で、あの男を騙すことができたわ。感謝してる」
占い師の女は微笑した。
「いいのよ。すぐに浮気しちゃうような男、許せないもの。新しい恋人とお幸せにね」
すると元妻はくすくすと声を立てずに肩で笑った。
「新しいというか、ヨリが戻ったのよ。いこ、ジュンヤ」
元妻はうれしそうに、探偵―――いや、探偵役の男・ジュンヤの手を取って、夜の町へ消えていった。
もしこれが正夢だとするなら、世の中は本当に理不尽だ。

相手の居ぬ間に・・・【前編】

彼女と出会ったのは、妻との仲が冷えきり始めた頃の事だった。妻とは結婚して3年になるが、子供ができないことと私の仕事に残業が多いことが、不仲の原因だろうと思う。子供の成長のためにと借りた一戸建ては空虚な空間だった。
妻を顧みない私への当てつけだろうか、彼女は犬を飼い始めた。ジュンヤという、およそ犬に似つかわしくない名前だった。それを不思議に思った私が妻に名前の理由を問いかけると、妻はぬけぬけと言い放った。
「元彼の名前だけど?」
これが私への嫌がらせでなくて、なんであろうか。妻の性格の悪さはこの日を境に露見し始めた。夕食もろくに用意せず、かといって働きもせず日がな一日CS放送を見ている。家は最低限の掃除しか為されないために荒れ果て、私の私物はたまにヤフーオークションで売りに出されているようだった。オークションで稼いだ金で寿司や高級イタリア料理を食べに行ったりもしたようで、丁寧に明細を見せつけてきたことまであった。
精神を病んでしまったのだろうか、と思ったが、近所付き合いには何の支障もなく、むしろとても社交的で人当たりも良かった。
いよいよ、自分だけが嫌がらせをされていると思え、腹が立ってくる。

その日、残業を終えた私は、傍若無人で役に立たない妻がひっくりかえって寝ている様を想像してしまい、ふいに帰宅するのが嫌になった。このまま酒を飲んで、それからカプセルホテルにでも泊まろうと思った。家に帰って気詰まりな思いをするより、金は無くなるが快適に一人の時間を過ごす方がましだ。もう妻の足音すら聞きたくなかった。
繁華街の適当な居酒屋を何軒か梯子しているうち、終電が無くなった。酔いの加減も程良く、暗い街を我が物顔で歩くのはなかなか悪くない気分であった。
カプセルホテルへの道すがらに、占い師が座っていた。黒いベールを被って、四角い箱のような台の上には水晶玉が置いてある。世間のイメージ通りの占い師だ。あまりにも典型的すぎて胡散臭かったが、酔っぱらっていたこともあり、私は占ってみるつもりでフラフラと近づいていった。
「今晩は。占いのご用でしょうか」
若い女性の声だったので、私は少し驚いた。若い女性が、こんな夜中に一人、人気のない路地にいるなんて不用心ではないだろうか。
とはいえ、そんな指摘も野暮だろう。好奇心も手伝って、私は女に占いをしてもらうことにした。
女は私と水晶玉を交互に見比べていたが、しばらくすると重苦しいため息をついた。
「言いにくい事ですが、最近、奥様との不仲で悩んでおられませんか?」
悩みを言い当てられ、私は面食らった。驚きのあまり言葉を発せずにいると、占い師の女は続けてこうも言った。
「お気の毒ですが、奥様は浮気しておられます。それが原因で、あなたから心を離しておられるのです」
「な、なんだって?」
ようやく言葉を発することができたが、私の様子はさぞかし間抜けだっただろう。
「明日、残業があると奥様に嘘を教えなさい。奥様は大喜びで外出するでしょう。あとをつけてごらんなさい」
私は放心状態のまま占い師のもとを放れた。その後、どこをどう巡ったかわからない。公園かどこかで眠った後、家に戻ったのだろう。目を覚ますと、スーツ姿のまま家のベッドに倒れ込んでいた。

「今日、残業で遅くなるから」
出来合いの総菜で朝食を済ませながら、まだ寝室から出てこない妻に声をかけた。むろん残業は嘘だ。
占い師を信じるのは馬鹿げてるかもしれないが、あの怪しい雰囲気をどうしても信じてしまいたいのだ。
それに、浮気していてくれれば私としても離婚しやすい。などと悪い策略を巡らしていた。

仕事を早く切り上げ、家の前の喫茶店でじっと自宅を観察すると、着飾った妻が出てきた。ほどなくして、見たことのない車が乗り付け、妻を拾ってどこかへ去っていった。
浮気されている、という事実によって、私はほっとしたような、反面許せないような不思議な気分に襲われた。何故だかはわからないが、私はあの占い師のもとへ向かっていた。
占い師は私の顔を覚えていたようで、
「そのご様子だと、私の占いは当たっていたようですね。お気の毒様です」
「あんたの占い、本当に当たるんだな」
「当たらなければ占いではありませんよ」
「もっともな話だ。俺はこれから、どうすればいいのか、占ってくれないか」
「どうすれば、とは? ぼんやりしすぎて、占いようがありませんわ」
「妻に復讐するか、それともさっさと離婚して新しい恋をするかだ」
「奥様との離婚は、今のままでは成立しませんわ。奥様は、あなたに嫌がらせをしながら、浮気相手という特別な間柄の人物と密会するスリルを楽しんでいるのです。そのスリルを手放すようなことはしないでしょう」
「では、どうすれば」
「あなたも浮気をすればいいのですよ」
占い師は微笑した。私はふいに、カプセルホテルと同様に林立しているラブホテルに意識を向けてしまった。こうなればヤケだ。私は占い師の女の手を取った。
「では、浮気相手になってください!」

祭りの準備

私は倉本梓、高校1年生。私には、ずっと片想いをしている男子がいる。入学式の日に一目ぼれして以来、ずっとだ。その男子は加賀くんと言う。背が高くて、キリッとした眉が男らしい。

元来が引っ込み思案の私は、せっかく加賀君と一緒のクラスになれたのに、話しかけたりも出来ずにいた。

そんな私と加賀くんの間柄に転機が訪れたのは、学園祭の時期が近づく九月半ばのことだった。夏休みが過ぎて、野球部の練習で日焼けしたその頃の加賀君は、体も前より引き締まって、本当にカッコよかった。でも私はといえば、相変わらずの引っ込み思案で、夏休みも浮いた話ひとつなく、吹奏楽の部活に打ち込んでいた。ほかの男子に誘われることもなくて、そりゃ私は加賀くん一筋だけど、でも少し悔しかったりもした。

その日のホームルームで、担任の先生がこう言ったのが、私と加賀くんが急接近する切欠だった。

「じゃあ、学園祭の準備委員を決めるぞ。男女それぞれ一名。今決まらなくても、放課後までに考えてくれればいいんだが……」

学園祭の準備委員といえば、学園祭の準備を取り仕切る大仕事だ。力仕事もしなきゃいけない。私は、飾りつけをすることが大好きだったから、この準備委員の仕事に興味があった。けど、やっぱり大役すぎる気もして、立候補するのがちょっと怖かった。

「あれ、梓、学祭準備で色んな装飾するんだって張り切ってなかった?」

後ろの席のリエちゃんが、私に余計なことを言ってきた。日頃の無駄話で確かにそんな事を言ったけど、それを覚えているなんて。ちょっと迷惑だ。ほかの友達も、口々に、

「そういえば、飾りつけ好きだったよね」

「そうそう。梓が適任じゃん?」

なんて勝手なことを言ってきた。引っ込みがつかなくなった私は、おずおず手を挙げた。

リエめ、私が引っ込み思案だから言い出せないと思って、後押しをしてくれたのだとしても、やっぱ余計なお世話にしか思えない……。

なんて思いながら、私はうんざりして、窓の外を見ていた。すると、おおっ、とざわめきが起こった。

「梓梓、ヤバイ、大変」

リエちゃんが私の背中を小突いた。私は、何だろうと思って、視線を教室内に戻した。そして驚きに目を丸くした。

そう、加賀くんが手を挙げていたのだ。

「すんなり決まったな」

担任の先生が嬉しそうに去っていって、教室は何事も無かったかのように、いつもの、お喋りばかりの空間に戻った。でも私は放心状態だった。

準備委員は、放課後の時間を使って作業する。それだけ長い時間一緒に過ごすということだ。

「加賀君と……一緒にいられる……」

それどころか、二人きりになるチャンスだってある。

これは、大チャンス!

一気に大接近することができる。

「加賀のやつ、珍しいね。こんな係、やるようなキャラじゃないのに」

不思議そうに話しかけてきたリエちゃんの手をとって、私は何度もその手を揺さぶった。今頃になって興奮の波が押し寄せてきたのだ。

「リエ! ありがと! ほんとーに、ありがと!」

何がなんだかわからないリエちゃんは、ますます不思議そうにするばかりだった。

初めての委員会は、それから一週間後の事だった。その日が来るのが、待ち遠しくて、何日か前からドキドキして寝つきが悪くなったくらいだ。

委員会に出席するときは、同じクラスの人は隣同士座る。こんなにも、加賀君の近くに座ることなんて、今までなかった。これだけで幸せだ。

「……倉本さん。俺の顔に何かついてる?」

出し抜けに加賀くんが声をかけてきて、私はビックリした。顔が真っ赤になった。

「えっ! な、そんなことないよ!」

「そっか。いや、倉本さんさ、さっきから俺の顔をずっと見てるから、つい」

まじまじ見ていたのを気づかれていた!変な奴だと思われただろうか。私はいよいよ耳まで真っ赤になって、顔から炎を吹きそうだった。

「ご、ご、ごめんなさい! あのえっと、加賀くん休みの間に、日焼けしたよねっ!」

私は慌てて、なにがなんだかよくわからないことを口走った。すると、加賀くんは、プッと吹き出した。

「まさか、日焼けが気になって、俺の顔を眺めてたわけじゃないよね?」

「ち、ちがうけど……」

「じゃあ何で?」

かっこいいから、何て言えるわけがない。私は仕方なく、勘違いをそのまま理由にして誤魔化すことにした。

「ごめんね、やっぱ、日焼けが気になったの」

「あははは!倉本さん、面白いね!話せてよかったわ。これからよろしくな」

加賀くんが快活に笑ってくれたから、私はだいぶ幸せな気分になった。

それからの何ヶ月か、本当に幸せだった。私が重い荷物を運んでいると、加賀君は何も言わずに全部引き受けてくれた。逆に、加賀くんが苦手な経費の計算や細かい手仕事をやってあげた。

「やっぱ女子は器用だな」

看板の色塗りをする私の隣に、加賀くんが座って笑いかけた。その歯があまりに真っ白でくらくらしそうになった。

「そんなことないよ。私ヘタな方だよ」

「倉本の、そうゆう謙虚なとこ、好きだぜ」

加賀君はそれだけ言うと、ぷいっと顔を背けて、別の人の手伝いに行ってしまった。

私は、すっかり色塗りの手を止めてしまった。

「今好きって言った……?」

不意打ちの、嬉しい言葉。

もう、この日の私は、使い物にならなかった。

そしてついに、学園祭の前日がやってきた。準備委員は全体の監督が役目だ。クラスメイトがざわざわと騒ぎながら準備をしている。

今年、うちのクラスは縁日をやることになっている。装飾のなかには、私がプランを立てて材料を買い、色塗りをしたものもある。加賀君や他のクラスメイトと一緒にホームセンターで買出しをして、本当に楽しかった。

「やば、すごい達成感」

出来上がりつつある教室の装飾を見て、私は思わずつぶやいた。

「ほんと。これ倉本のアイディアがほとんどだもんな」

ふと気づくと、隣で加賀くんが笑っている。この頃になると、もう加賀君はクラスの皆の前でも、私を苗字で呼び捨てにしてくれていた。

「ここはあたしらやっとくし、二人はちょっと休んでていいよ。働きすぎじゃん」

的当て用のパネルを抱えたリエちゃんが、そう言った。私の方をみて、ニヤニヤしている。ひょっとしてリエちゃんは最初から、私が加賀くんの事を好きだってこと知ってたのかな、なんて思った。

「じゃあそうすっか。行こうぜ」

私は加賀くんにうながされて、準備委員が普段使っている用具室に向かった。途中、ほんとうに何気なく、加賀くんが私の手を引いて歩いてくれた。

準備委員は皆が出払っていて、用具室は無人だった。

「倉本、ありがとな。色々手伝ってくれて。お前がいなかったら、うちのクラスの縁日はもっとしょぼかったと思うわ」

「そんなこと。私こそ、加賀君と一緒に準備できてよかった」

でも、この祭りの準備が終わってしまったら。私と加賀くんの接点はもうなくなってしまうのだ。それを思うと気が重くなった。加賀君は私のそんな様子を知ってか知らずか、準備中の思い出を語っている。

告白しなくちゃ、チャンスなんだから。

私は勇気を振り絞った。準備委員に手を挙げた時は、リエちゃんの後押しがあった。でも今度は、自分の意志で一歩を踏み出さなきゃ。もう引っ込み思案じゃだめなんだ。

「加賀くん。私、加賀くんのことが」

「俺さ、倉本が手を挙げたから、慌てて立候補したんだぜ」

「えっ?」

我に返ると、加賀君は、はにかんだ表情で鼻の下をかいている。お互いに、相手の目を上手く見ることができない。

「私、あの、ずっと加賀くんの事が、気になってたの」

「俺もだよ。でもなかなか話しかけるチャンスなくて」

それから加賀君は色々なことを話してくれた。私の控えめな様子が気になっていたことや、女子に話しかけるのが苦手だから、なかなか接近できなかったこと。

「でも実際に話してみたら、すげえ面白いし、それに器用だし、なんかすっげーなーって思ってたら、気になるのが止まんなくなってたんだよな。それにやっぱ、一緒に準備してて、楽しかったし」

夢のような言葉だった。憧れの加賀くんから、そんな風に言って貰えるなんて、思いもしなかった。

「私、準備委員に立候補してよかった。加賀くんと一緒にいられて、私も楽しかったし」

「俺もだよ」

加賀くんが私の手を取った。それから、少し躊躇しながら、やがて真っ直ぐ私の目を見た。

「やっぱ、人の顔まじまじ見るの、照れるわ。倉本はすげーな。俺の顔あんなにじっと見れてて」

「あの時の話はやめて、恥ずかしいから。それに、それは、私が今まで影から加賀君のことを見てたからだよ。ノゾキ……て感じかなあ? でも今は面と向かって、向き合ってるから……恥ずかしいよ」

加賀君が嬉しそうに笑った。

「なんだよ、それ。おまえ、変な奴だな、やっぱ」

「うるさい」

祭りの準備が終わっても、私たちは一緒にいられるだろうか。そうするためには、私が自分から行動を起こさなきゃいけない気がした。待っているだけじゃダメ、自分から好きだと言わなきゃ。

「あのね。加賀くん」

「うん」

しばらくの間、沈黙が流れた。ドキドキが喉を締め付けて、声がなかなか出ない。ようやく搾り出した言葉は、緊張で少し裏返っていた。

「明日さ、学園祭さ、一緒に見て回ろ!」

緊張で背筋を伸ばしていた加賀君は、私の言葉を聞くと、ふっと息を吐いてリラックスした。

「はじめっからそのつもりだよ!」

そうして、私の頬を軽くつねった。

結局、私は、しっかり告白できなかった。遊びに誘うのが精一杯。でも、少しづつの前進でも、いいよね。いつかきっと、しっかり、目を見て伝えようと思ってるから。好きだってことを。

離婚のカギ【最終話】

家に帰ってからも真由美はそのことが忘れられず、その日の夫との会話は殆ど覚えていなかった。

翌日朝早くに夫が仕事に行くと彼女は仕事終わりと思われる久保田に電話をした。

「久しぶり。お前のほうから関係を終わらせようって言ったのにどうした?」

久保田の質問には答えずに、そのまま彼の仕事場の近くのカフェで会うことにした。

久保田と会ってからも特に何を話したいといったことはなかったのだが、昨晩の出来事と財布のプレートが消えたことは何か関係しているのではないかと思わずにはいれず、結果的に久保田に会うことを選んだのだ。

仕事終わりで眠そうな久保田は若干機嫌が悪そうで、すぐにでも帰って家で寝たいという態度を露わにしていた。

結局何も話せないままそのまま久保田と別れたのだったが、家に帰っても釈然としないものがあった。

そのまま夜に夫から求められ、完全にそれどころではなかった真由美は愛情を一方的に受けるだけの情事に嫌気がさし、気がつくと早く終わることだけを願っていた。

会社に向かう人々で賑わう朝の渋谷で、二人のスーツ姿の男が会っていた。

「あれから一度だけ会いましたよ、彼女に呼ばれて」

「それで?」

「ネックレスは付けていませんでした」

「それで?」

「それだけですよ。言われた通り確認だけして、後は適当な頃合いを見て帰りましたから。それより、約束通り今回のことは妻には言わないで下さいよ」

「いいだろう。金もいらない。」

「結局離婚はするんですか?あまり俺が口を挟むことじゃないですけど」

「それを君に話す義理はない。約束通り今回のことは奥さんには言わないでおいてやる。その代わりに二度と私の前には現れないでくれ」

そう言われて久保田は席を立った。

駅の傍の喫煙所で煙草に火を付けながら時刻を確認する。

最後の一本だというのに、恐怖からか煙草の味は全くせず、それどころか上手く吸うことができない。

空になった箱を握りつぶして灰皿の隙間から押し込む。そしてまだ半分も吸っていない煙草を灰皿に押し付けると久保田はその場を離れようとした。

しかし一度だけ引き返し、ポケットから無地のプレートを取り出す。それを灰皿の中に放り投げると彼は足早に渋谷を後にした。